標高 :931 m
所在地 :兵庫県神戸市
山系 :六甲山系
概要
六甲山を中心に、長さ数十kmにわたる六甲山地を形成する。
瀬戸内海国立公園の区域に指定されている。 接する市は、
神戸市の他、芦屋市、西宮市がある。
上代には「むこやま」と呼ばれ、「武庫山」などと字が
当てられた。江戸時代後期以降「六甲山」の字が
当てられ、読みも「ろっこうさん」と変化した。
六甲山は元々緑の山であった。 山頂付近は落葉広葉樹林、
その他は照葉樹林の森で覆われていたのが古代の本来の
姿であった。
近隣に人が進出するにつれ、伐採利用が行われるように
なり、森の二次林がおこった。
江戸時代に入ると燃料や資材として山中の樹木の伐採が
進みはげ山化した。江戸末期の神戸港開港はこうした
事象をさらに悪化させ、明治初期には地表が露出する
ほどに荒廃した。当時の神戸港の写真の遠景には草木が
全く生えていない六甲山が写っている。
現在の緑豊かな六甲山からは想像もできない全山はげ山の
姿であった。わずかに最高峰付近と寺院近傍にのみ林が
残存していたのみである。
六甲山は風化花崗岩でできた地質であるため、地表から
草木が除かれ土壌が流出すると雨により崩壊しやすい。
このような山地の荒廃は、たびたび土砂災害を招いた
ことから1895年(明治28年)より兵庫県が砂防事業を
開始した。明治35年(1902)からは山地の緑化事業を
開始した。これは、杉や檜のような商業材ではなく、
広葉樹林を中心とした治水を目的とした
当時としては画期的な緑化事業であった。
1938年(昭和13年)に空前の阪神大水害が発生し、大きな
被害が出た。これを契機に、翌1939年(昭和14年)より
六甲山の砂防事業は国(当時の内務省)の直轄事業に
移って今日に至る。この時期から植林による砂防から、
渓流への砂防えん堤等の設置対策へと比重が移る。
六甲山は流れる川に砂防の堰堤が多い山としても知れれる。
国による砂防えん堤が511基、地方自治体によるものも
含めると約1000基にのぼる。
砂防事業による効果としては、1967年(昭和42年)にも
阪神大水害を上回る雨量で土砂災害が発生したものの、
都市化が進行しているにも関わらず被災者数、被災家屋は
少なくなっている。
平成7年の兵庫県南部地震では六甲山も崩壊地が多数生じ、
新たな危機が浮き彫りとなった。 これを契機に、
六甲山系グリーンベルト構想が打ち出され、今日にいたって
いる。
交通機関
* 六甲ケーブル
* 六甲有馬ロープウェー
* 摩耶ケーブル
* 摩耶ロープウェー
* 六甲山上バス
* スカイシャトルバス
* 阪急バス
* 神戸市営バス
* 新神戸ロープウェー
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